東京−出雲市。898qの道のりを今終える。
ありがとう出雲。
ここでは平成18(2006)年3月18日で引退した
寝台特急出雲の記録を紹介しよう
出雲の歩み
寝台特急「出雲」。昭和47(1972)年3月のダイヤ改正でブルトレの仲間入りを果たしたブルトレである。
昭和53(1978)年10月からは「いなば」が「出雲2号・3号」に改称されたことにより2往復体勢となった。
平成10(1998)年7月にはその「出雲2号・3号」も「サンライズ出雲」へと姿を変え、
「出雲1号・4号」は単独の「出雲」へと変わった。
相次ぐブルトレの縮小、併合の中、
寝台特急「富士・はやぶさ」とともに東京発の寝台特急として未だに活躍をしていた。
そして今回、平成18(2006)年3月18日のダイヤ改正でその姿を消すことになってしまった・・・
出雲の編成
*( )内は帯色。< >内は繁盛期のみの連結。*
担当牽引機:東京−京都間→EF65−1000(田端所属)
←出雲市 京都−出雲市間→DD51(後藤所属) 東京→
カニ24(金)+オロネ25(銀)+オハネ25(金)+オハネ25(金)+オハネフ25(金)+オシ24(金)
+オハネ25(金)+オハネ25(金)+オハネフ25(金)<+オハネ25(金)+オハネ25(金)+オハネフ25(金)>
東京−京都間を田端運転所所属のEF65−1000が牽引、
京都−出雲市間を後藤総合車輌所所属のDD51が牽引する。
中間に連結されているオシ24は食堂営業を休止し、フリースペースとしてつながれている。
寝台特急「出雲」と管理人”出雲”の出会い
大した内容ではないので知りたい人だけこちらへどうぞ
ラストラン
寝台特急「出雲」の最後の活躍をできる限りの範囲で紹介します。
2月18日
この日のカマはEF65−1114でした。
ちなみにこの日は銀河の運用にEF65−1118(レインボー)が入ったので
横浜は大盛況でした。
2月25日
この日のカマはEF65−1112でした。
管理人”出雲”が初めて寝台特急「出雲」を見たときと同じカマです。
2月26日
寝台特急「出雲」が遅れたため、東京で撮ることができました。
手を挙げて勘で撮ったのですが、最終日はこんなのばかりだろうなぁ・・・
3月5日
5日のカマはEF65−1106でした。
これにはスノプロがついてますね。
3月11日
この日はEF65−1110が担当。
青い車体に輝く赤いヘッドマークがいつもより印象的だった。
3月17日
下り出雲の最終列車の牽引はEF65−1109
運転士さんのお母さんが息子の乗る
最後の出雲を涙で見送っていた。
3月18日
上り最終出雲の牽引機はEF65−1100だった。
最後の後ろ姿はどこか寂しげだった。
数々の感動やドラマを見せてくれた寝台特急「出雲」。
僕たちに夢を与えてくれた寝台特急「出雲」。
そして今日、廃止という名の終着駅に着いた。
34年間お疲れさまでした。そしてありがとう。
参考文献:鉄道ファン2006年4月号(540号)